はじめに
スーパーの棚の前で、手が止まった。
いつも買っていたものが、いつのまにか値上がりしている。 通帳の数字は減っていない。 それでも、何かが減っている気がした。
その感覚に名前をつけられないまま、しばらく過ごしていた。
気づけば、全部を円に預けていた
収入は円で入る。 家賃も食費も、円で出ていく。 貯金も円。
疑いようがないほど自然だった。 だから「円に集中している」という発想そのものが、頭に浮かばなかったのだ。
投資では分散を気にしていた。 若い頃に一つの資産へ寄せて失敗した記憶があるから、そこは慎重になった。 それなのに、暮らしの土台が一つの通貨に寄っていることは数えていなかった。
分散を意識していたつもりで、いちばん大きな偏りを見ていなかったのかもしれない。
額面は守られても、買えるものは減っていく
最近、生活防衛資金を普通預金から個人向け国債(変動10年)へ移した。 コロナショックの頃はまだ普通預金に置いていたから、これは最近になってからの判断だ。
動機は物価の上昇だった。 額面が減らなくても、同じ金額で買えるものは減っていく。 それが怖かった。
個人向け国債(変動10年)は、最低金利年0.05%が保証され、半年ごとに金利が見直される。 金利が上がる局面で置いていかれにくい、という性質はある。
ただし、これは金利に連動する仕組みであって、物価に連動するわけではない。 インフレに勝てる保証はない。 弱点もある——備えのはずなのに、すぐには動かせない。
つまり、置き場所を変えても不安の芯は残った。
通貨を分けるという考え方
私が積み立てているのは、全世界株式のインデックス2本。 eMAXIS Slim全世界株式とSBI・全世界株式インデックスだ。
買っているつもりだったのは「世界の企業」だった。 でも同時に、それは円以外の通貨で資産の一部を持つことでもあった。
MSCI ACWI の米国比率は63.59%(2026年8月末、米ドル建て・Net)。 円で暮らしている自分の資産の重心は、思っていたより円の外にあった。
もちろん、これは安心とは違う。 円安なら円換算の評価は増え、円高なら減る。 振れは受け入れるしかない。
それでも、生活のすべてを一つの通貨に置かない形になっている——そう分かっただけで、不安の輪郭は少し変わった。
不安に名前がつくと、選ぶものが減る
「なんとなく将来が心配」は、対処のしようがない。 けれど「円だけで暮らし、円だけで備えている」と言い換えられたら、考える範囲は狭くなる。
私がやったのは二つだけだった。
・置き場所を選び直す
・すでに持っているものの中身を確認する
新しく何かを買い足したわけではない。 不安の名前が変わったことで、やらなくていいことが見えたのだ。
経済的自由とは、円が強いか弱いかに暮らしを預けきらない状態でもあるのかもしれない。 選択肢を持つというのは、どの通貨で生きるかを含めて、自分で選べる余地を残しておくことではないだろうか。
まとめ
不安は消えていない。 でも、形のない重さではなくなった。
安心の正体は、金額ではなかった。 自分が何に賭けているかを、言葉で言えるかどうかだった。
今日ひとつだけ——自分の資産が、どの通貨でできているか数えてみてほしい。 たぶん、思っていた比率とは違っている。


