はじめに
給料日の夜、口座残高を何度も確認していた時期がある。
数字が増えていると安心する。 減っていると胸がざわつく。 それが毎月繰り返されていた。
当時の私は、お金に「近づきすぎて」いたのだと思う。
貯めることに必死だった。 節約の情報を追いかけ、支出を1円単位で記録した。 でもそのわりに、心は満たされなかった。
お金を管理していたつもりが、お金に管理されていた。 その感覚に気づいたのは、30代も後半に差しかかった頃だった。
近すぎると見えなくなるもの
お金に意識を向けること自体は悪くない。 問題は「どれだけ近いか」ではなく「何を見ているか」だった。
私が見ていたのは、数字だけだった。
・今月いくら使ったか
・先月より増えたか減ったか
・あといくら貯めれば安心か
答えのない問いを繰り返していた。 「あといくらで安心できるか」には、終わりがないのだ。
数字を追いかけるほど不安は増える。 そのことに気づくまで、かなりの時間がかかった。
お金と距離をとった日
ある時期、家計簿をつけるのをやめてみた。
正確には、細かい記録をやめた。 月の固定費と大まかな生活費だけ把握して、あとは「一定額を先に取り分ける」仕組みにした。
収入の一部を自動で投資に回す。 生活防衛資金は1年分を確保しておく。 それ以外は、自分の暮らしのために使う。
ルールはたったそれだけだった。
驚いたのは、支出がほとんど変わらなかったことだ。 細かく管理していた頃と、大枠だけ押さえた頃とで、使う金額に大差はなかった。
つまり私は、必要のない労力をかけていたのかもしれない。
距離感を間違えた過去が教えてくれたこと
若い頃、株式投資で大きな損失を出して退場した経験がある。 その後、再び投資に戻ったときにはJ-REITへ集中投資していた。 コロナショックで大きな含み損を抱えた。
どちらも「お金との距離感」を誤っていた。
一度目は、のめり込みすぎた。 二度目は、偏りすぎた。
その反省から、今は全世界株式インデックスを軸にした分散投資に落ち着いている。 市場が揺れても、ルール通りに積立を続ける。 動かないときは何もしない。
この「何もしない」ができるようになったのは、距離感が整ったからだった。
お金は道具であり、目的ではなかった
距離をとってみて、初めてわかったことがある。
お金は安心そのものではない。 安心をつくる道具のひとつにすぎないのだ。
本当に欲しかったのは、数字の大きさではなかった。 「何かあっても大丈夫」と思える感覚——それが欲しかったのだ。
経済的自由という言葉がある。 それは大金を持つことではなく、お金に振り回されない状態を指すのではないだろうか。
選択肢を持つこと。 焦らずに判断できること。 それが「距離感を整える」ということの本質だったのかもしれない。
まとめ
30代のうちにやっておけばよかったこと。 それは投資の勉強でも節約術でもなく、お金との距離感を決めることだった。
近すぎれば不安に飲まれる。 遠すぎれば備えを怠る。
ちょうどいい距離は人によって違う。 でも「自分にとっての距離」を一度考えてみることには意味がある。
今日ひとつだけ、問いかけてみてほしい。 ——自分はお金に、近すぎないだろうか。

