はじめに
取り崩し率を下げれば安心できると思っていた。
4%を3%にすれば、資産はもっと長くもつ。 計算上はそのとおりだった。
なのに、残高を開く回数はむしろ増えた。 数字は味方のはずなのに、安心はついてこなかったのだ。
率を下げても不安が減らない
取り崩し率は、あくまで「減り方」を表す数字にすぎない。
何%なら安全か——その問いには、前提が要る。 いつまで生きるのか。 途中でいくら入ってくるのか。
その前提を置かないまま率だけを動かしても、不安の中身は変わらない。 小さくしたのは数字であって、見えない部分ではなかった。
終わりが見えないという不安
不安が消えないのは、金額が足りないからではなかった。 終わりが見えないからだった。
厚生労働省の2025年簡易生命表では、65歳の平均余命は男19.68年、女24.52年。 これは平均であって、自分の年数ではない。
だから人は、いちばん長い場合を勝手に想定してしまう。 終わりを決めないかぎり、どんな率でも足りない気がするのではないだろうか。
公的年金という、もうひとつの床
ここで効いてくるのが、一生続くお金のほうだ。
公的年金は65歳が原則だが、66歳以後75歳までの間で繰り下げられる。 増額率は1か月あたり0.7%で、75歳まで待てば84%。 この増額率は一生変わらない——日本年金機構がそう説明している。
逆に60歳から65歳になるまでの間に繰り上げることもでき、こちらは1か月あたり0.4%の減額で最大24%。減額もまた一生続く。
取り崩しの不安は、資産側だけを見ていると解けない。 終身で入ってくる床の高さを、先に決めておく話でもあったのだ。
数字ではなく、線を引く
私も暴落を経験してきた。 下げの最中に効いたのは、その日の判断ではなく、先に引いておいた線のほうだった。
生活防衛資金は1年分。 積み立てるのは全世界株式のインデックス。 売買を伴うリバランスは年1回、12月に点検する。
決めてあるから、毎日確かめなくて済む。 安心の正体は、率の小ささではなかった。
経済的自由とは、数字が十分にあることではないのかもしれない。 何歳までの話をしているのかを自分で決め、そのうえで選択肢を持っている状態のことだ。
まとめ
率を下げても不安が減らなかったのは、終わりを決めていなかったからだった。
必要なのは、もっと小さい数字ではない。 いつまでの話なのか、そのあいだ終身で入る床はいくらか——この二つを自分の言葉で置くことだ。
今日ひとつだけ、何歳までを前提に計算していたのかを書き出してみてほしい。 数字が変わらなくても、見え方は変わるかもしれない。

