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95歳まで生きる前提で資産設計する|長寿リスクという見落とし

経済的自由

はじめに

残高を眺めながら、ふと電卓を叩いた。 このお金は、何歳まで持つのだろう——。

そのとき頭に置いていたのは、80代半ばという数字だった。 平均寿命。 なんとなく、そこがゴールだと思っていたのだ。

けれど、その前提こそが一番の見落としだった。

平均は、自分の寿命ではない

平均寿命は、みんなが同じ年に人生を終えるという意味ではない。 ほぼ半分の人は、それより長く生きる。 そして医療は今も進み続けている。

つまり平均で設計した資産は、かなりの確率で足りなくなる。 気づいたとき、少し背筋が寒くなった。 足りないと分かるのは、たいてい取り返せない年齢になってからだ。

長生きは、リスクの顔をしてやってくる

長寿リスクという言葉を初めて聞いたとき、違和感があった。 長生きは喜ばしいことのはずだ。

けれど、お金の設計図の上では話が違う。

・想定より20年長く生きる

・その間も物価は上がり続ける

・働いて取り戻す選択肢は年々細くなる

この三つが重なると、静かに詰む。 派手な暴落より、こちらのほうが怖いかもしれない。

「額面が減らない」という安心の正体

私は最近、生活防衛資金を個人向け国債(変動10年)に移した。 それ以前は、普通預金に置いていた。

動機は物価だった。 額面が減らなくても、同じ金額で買えるものは減っていく。 30年という時間は、その目減りを無視できない長さにする。

もちろん、国債が物価に勝てるとは限らない。 それでも最低金利は保証され、半年ごとに金利が見直される。 置いていかれにくい、というだけの話だ。 安心の正体は、額面ではなかった。

95歳を前提に置くと、順番が変わる

ゴールを95歳に置き直すと、考える順番が変わった。

「いくら貯めるか」より「資産にどれだけ長く働いてもらうか」。 取り崩しながらも、増える部分を残しておく設計。

若い頃、株で損を出して一度市場から退場した。 その後も一つの資産に集中して、大きな含み損を抱えた。 だから今は、全世界株式インデックスを軸にしている。

下げても積立は止めない。 動かないという選択も、立派な行動だったのだ。

経済的自由は、金額ではなく時間で測る

経済的自由とは、お金がある状態ではないのかもしれない。 95歳の自分にも、まだ選択肢が残っている状態——。 そう言い換えたほうが、しっくりくる。

働き続けてもいい。 やめてもいい。 住む場所を変えてもいい。

その選択肢を、最後まで持ち続けられるか。 資産設計とは、未来の自分に選択肢を送り届ける作業ではないだろうか。

まとめ

今日ひとつだけ、95歳の自分の家計を想像してみてほしい。

ゴールの位置がずれるだけで、今日の一歩の意味は変わる。 長生きが不安ではなく、楽しみになる設計へ。 その切り替えは、今日からでも間に合う。

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