はじめに
通帳の数字を見て、安心して、また閉じる。
それを何年も繰り返してきた。
いつか自由になるために積み上げている——そう思っていた。
だがある朝、ふと手が止まった。
自由になった日、私は何をするのだろう。
答えが出てこなかった。
積み上げていたのは金額で、決めていなかったのは中身のほうだった。
お金は選択肢を増やすが、選び方は教えてくれない
経済的自由とは、働かなくていい状態のことだと思っていた。
でも実際に近づいてみると、そこにあるのは「選べる」という状態だけだ。
選択肢が増えるほど、決めることは増える。
お金は扉を用意してくれる。
どの扉を開けるかは、別の問題なのだ。
制度も「いつ受け取るか」を私たちに委ねている
公的年金は原則65歳から受け取る。
ただし希望すれば60歳からでも受け取りは可能だ。
昭和37年4月2日以降生まれなら1か月あたり0.4%の減額、それ以前の生まれは0.5%。60歳で請求すれば24%(0.5%なら30%)減り、この減額率は一生変わらない。しかも繰上げ請求は取り消せない。
逆に66歳以後75歳までの間に繰り下げれば、1か月あたり0.7%、最大84%まで増える。
早く受け取るか、増やして待つか。
制度はどちらが正解かを言わない。
決めるのは本人だ。
ここでも、選ぶ材料は数字だが、選ぶ基準は数字の外にある。
数字を増やしても、輪郭は埋まらなかった
私は若い頃、株式投資で損失を出して一度退場した。
その後もコロナショックでは大きな含み損を抱えた。
過去の集中投資の反省から、いまは全世界株式のインデックスを積み立てている。
生活防衛資金は1年分。最近、それを個人向け国債(変動10年)へ移した。
額面が減らなくても、同じ金額で買えるものは減っていく——それが気になったからだ。
ただ、金利には追随しても物価に勝てるとは限らない。
備えは整ってきた。
それでも、不安が完全に消えたわけではなかった。
増やす作業には終点がない。
終点を決めるのは、金額ではなく使い道のほうだったのだ。
経済的自由とは、選択肢を持つことだった
経済的自由という言葉を、私はずっと「到達点」として使ってきた。
いまは少し違う。
選択肢を持つとは、断れる余地を持つということ。
嫌な仕事を断れる。
急がずに考えられる。
誰かのために時間を割ける。
そのどれを選ぶかは、資産残高では決まらない。
自由とは、何もしなくていい状態ではなく、何をするかを自分で決められる状態のことだった。
まとめ
足りなかったのは金額ではなく、使い道の輪郭だった。
だから積立を止める必要はない。
ただ、増やす作業と並べて、もうひとつ考えておきたい。
今日ひとつだけ——選べるようになったとき、最初にやりたいことを書き出してみてほしい。
書けたなら、その日はもう少し近いのかもしれない。

