はじめに
郵便受けに、保険会社からの更新案内が入っていた。
封を切って、金額だけ見て、そのまま手続きをする。 何年もそれを繰り返していた。
守っているつもりだった。 でも私は、何をいくら守っているのか答えられなかったのだ。
保険料は「所有の維持費」だった
家を持つと、資産が増えたように感じる。 数字としては、たしかにそうだ。
でも家には、持ち続けるためのコストがついてくる。 固定資産税、修繕、そして火災保険と地震保険。
・火災保険は建物と家財を守る
・地震保険は火災保険に付帯してしか入れない
・地震による損害は、火災保険だけでは出ない
このうち三つ目を、私は長く知らなかった。 火が出た原因が地震なら、火災保険では支払われない。 知ったとき、少し背筋が冷えた。
全部は戻らない、という前提
地震保険には上限がある。
建物の火災保険金額の30〜50%の範囲までしか設定できない。 そして保険金は損害の程度に応じて、全損・大半損・小半損・一部損で区分されて支払われる。
つまり、建物を建て直せる金額は出ない。 再建費用の全額ではなく、生活を立て直す足がかり——そういう設計なのだ。
これは弱点ではなく、性格だと思っている。 性格を知らないまま持っていたから、私は安心の中身を説明できなかった。
私が保険で買っていたもの
若い頃、投資で大きな失敗をした。 損失を出して、一度市場から退場した。
その後も、集中していた資産で大きな含み損を抱えた時期がある。 あのとき学んだのは——「起きる確率は低い」と「起きたら終わる」は別の話だということ。
保険が必要なのは、後者だけかもしれない。 壊れても暮らしが続くものは、貯蓄で受け止められる。 壊れたら暮らしが止まるものだけ、他人のお金で受け止める。
私が保険で買っていたのは、安心ではなかった。 考えなくていい時間だった。
自分の数字で決めるということ
生活防衛資金は一年分だけ持っている。 災害用に別建ての貯金は持っていない。
最近、その一年分を個人向け国債(変動10年)に移した。 額面が減らなくても、同じ金額で買えるものは減っていく——それが気になったからだ。
ただし国債は金利連動で、物価連動ではない。 最低金利年0.05%は保証されるが、物価に勝てるとは限らない。 中途換金は発行から1年後から可能で、直前2回分の利子相当額が差し引かれる。
だから災害は、貯蓄だけで受け止めきれる領域ではないと思っている。 これは私の場合の話にすぎない。 だからこそ、一般論ではなく自分の建物・自分の地域・自分の残債で確かめるしかないのだ。
選択肢として持つ、という感覚
保険料を削ることが目的になると、判断が痩せていく。
大事なのは、金額に根拠があるかどうかではないだろうか。 根拠のある支出は、金額が同じでも重さが変わる。
経済的自由とは、支出をゼロに近づけることではなかった。 「これは払う」「これは払わない」を自分で決められる状態のことだった。
家を守るコストを把握している人は、家を持ち続けることも、手放すことも選べる。 選択肢を持つとは、そういう静けさなのかもしれない。
まとめ
今日ひとつだけ、証券の保険金額の欄を見てみてほしい。
その数字を、自分の言葉で説明できるだろうか。 できなければ、それは守りではなく習慣だ。
安心の正体は、金額じゃなかった。

