はじめに
レジで払うのは円。 スマホを開けば、資産の大半は世界に散っている。
同じ日の、同じ財布の話なのに——どこかちぐはぐだった。 円安のニュースが流れた日、含み益は増えているのに、卵の値段にため息をついた。
このズレは、いつから始まっていたのだろう。
円で暮らし、世界で持つという違和感
私の支出は、ほぼすべて円で発生する。 家賃も食費も、通信費も。
一方で、資産の中心は全世界株式のインデックスだ。 中身は世界中の通貨で動いている。
つまり、稼いで使う場所と、預けている場所が違う。 この構造そのものが、実は「賭け」なのではないだろうか。
円だけで持てば、円が弱ったときに買えるものが減る。 世界だけに置けば、円高になったとき数字が縮む。
どちらも一点に寄せた選択だった。
ズレを消そうとして、失敗した過去
若い頃、私は株で損を出して一度退場している。 その後も懲りずに、コロナショックの頃にはJ-REITへ集中していた。
大きな含み損を抱えて、画面を閉じた日のことは覚えている。
あのとき私がやっていたのは、リスクを減らすことではなく、わかりやすい一点に賭けることだった。 「これなら理解できる」という安心が、集中を正当化していたのだ。
ズレを消したい気持ちは、たいてい集中を呼ぶ。 そして集中は、揺れたときに人を壊す。
どこまで許容するか、という問い
今の私の考え方は単純だ。
・すぐ使うお金は円で持つ
・当面使わないお金は世界に置く
・その境目を、自分で決めておく
生活防衛資金は1年分。 最近、これを全額、個人向け国債(変動10年)へ移した。
理由は物価だった。 額面が減らなくても、同じ金額で買えるものは減っていく——それが怖かった。
ただし国債はインフレ連動ではない。 最低金利年0.05%が保証され、半年ごとに金利が見直されるだけだ。 物価に勝てるとは限らない。
それでも、円で暮らす1年分は円で持つ。 その割り切りが、私には必要だった。
ズレは、消すものではなく持つもの
為替が動くたびに資産を組み替えていたら、たぶん一生落ち着かない。 実際、下落局面でも私は積立を止めていない。
何もしない、を選び続けている。
ズレがあるということは、片方が沈んでも、もう片方が残るということでもある。 リスクに見えていたものは、裏返せば逃げ道だった。
そう気づいてから、円安のニュースが少しだけ静かに聞こえるようになった。
ここで初めて言葉にできる。 経済的自由とは、円が強い日も弱い日も、生活の判断を変えなくていい状態のことかもしれない。
そして選択肢を持つとは、どちらか一方に賭けないでいられる、ということではないだろうか。
まとめ
正解の比率は、たぶん誰も持っていない。 持てるのは、自分の許容できるズレの幅だけだ。
今日ひとつだけ。 「これから1年で円で使う金額」を、ざっと出してみてほしい。
その線の内側が、あなたの円の居場所になる。

