はじめに
残高を開いて、前より減っていた。
その日一日、どこか落ち着かなかった。
取り崩しを始めれば資産は減っていく——そう決めつけていた。
だが、減るときも増えるときも、理由はひとつではないのだ。
出ていく額と、増える額は別の線
年金積立金の記録を見ていて、はっとした。
厚生労働省の資料によると、平成21年度末は運用収入を除く積立金の増減が4兆7,287億円のマイナス。
つまり、給付のためにそれだけ出ていった。
それでも運用収入が9兆1,554億円あり、時価の積立金は4,426億円の増加で終わっている。
逆の年もある。
平成27年度末は運用収入を除く増減が2兆1,254億円のプラスだったのに、運用収入が5兆3,498億円のマイナスで、全体は3兆2,244億円の減少だった。
残高は、二つの別々の力が重なった結果でしかない。
一年の数字に、意味を持たせすぎていた
単年の収益率は大きく振れる。
同じ資料の年度別(運用手数料等控除後)では、令和2年度23.98%、令和元年度マイナス5.00%、令和6年度0.66%。
一方、自主運用が始まった平成13年度から令和6年度までの24年間の平均収益率は4.18%(相乗平均)だった。
同じ運用でも、どの窓で切り取るかで顔が変わる。
そして管理運用法人が重視しているのは、短期のブレ幅ではなく、長期的に必要な収益が得られないことだという。
ブレは、避けるべき失敗として扱われていない。
私が残高に求めていたもの
若い頃、株式投資で損失を出して一度退場した。
コロナショックのときはJ-REITに集中していて、大きな含み損を抱えた。
そのあと分散へ移し、いまは全世界株式のインデックスを積み立てている。
それでも残高が減ると、まだ胸がざわつく。
ただ、ざわつきの正体は損そのものではなかった。
下がった数字に「自分の判断が間違っていた」という意味を貼りつけていた——それだけだったのかもしれない。
多くの人が、同じことをしているのではないだろうか。
分けて見ると、判断が静かになる
残高をひとつの線で見るから、揺れるたびに評価が揺れる。
- 今月、暮らしのために取り崩した額
- 市場の動きで増減した額
- その二つを足した、いまの残高
この三つを分けて書くだけでいい。
取り崩した額は自分で決めたこと。
増減した額は自分では決められないこと。
決められないものに評価を下すから、疲れるのだ。
経済的自由とは、数字が増え続ける状態のことではないのかもしれない。
減った月にも慌てず、次の一手を選べること。
選択肢を持つとは、たぶんそういうことだ。
まとめ
残高の上下は、二つの別々の力が重なった影にすぎない。
その影に意味を探しても、答えは出てこなかった。
今日ひとつだけ、いまの残高を「自分で決めた分」と「決められない分」に分けて書き出してみてほしい。
数字は同じでも、見え方が変わるかもしれない。

