はじめに
通帳の残高をひらいて、少し安心して、すぐに落ち着かなくなる。
増えているのか、使っていいのか、分からない。
かつての私の口座は、ひとつだった。
生活費も、備えも、投資に回す分も、全部が同じ数字のなかで溶けていた。
足りない気がするのに、何が足りないのかは言えなかったのだ。
分けられないのは、意志が弱いからではない
残高がひとつだと、判断のたびに全額と向き合うことになる。
百万円あれば、百万円ぶんの選択肢がそこにある。
その重さに毎回耐えるのは、意志の問題ではない。
金融庁も、家計管理の基本は収入と支出を把握し、黒字にして、その黒字分を貯めることだと説明している。
把握が先で、我慢が先ではないのだ。
三つに割ると、決めることが減る
私は今、お金を役割で三つに分けている。
- 日々の生活費——使っていいお金
- 生活防衛資金——触ってはいけないお金
- 投資に回す分——時間を預けるお金
金額で分けるのではなく、役割で分ける。
すると迷いは「この支出はどの箱から出すか」だけになる。
全額と向き合わなくてよくなる。
この分け方は、経済学者リチャード・セイラーがメンタルアカウンティングと呼んだものに近い。
帳簿を分けること自体は悪い癖ではなく、使いすぎへの歯止めにもなる——問題は、どの帳簿に何を入れるかのほうだった。
触ってはいけないお金は、置き場所で守る
私の生活防衛資金は1年分で、別建ての貯金は持たない。
これを最近、全額、個人向け国債(変動10年)へ移した。
動機は物価上昇だった。
額面が減らなくても、同じ金額で買えるものは減っていく。
ただし変動10年は金利連動であってインフレ連動ではない。
物価に勝てるとは限らない。
代わりに、はっきりした弱点がひとつある。
発行から1年経つまでは原則として中途換金できない。
それ以降も、換金時には直前2回分の利子(税引前)のおよそ8割が差し引かれる。
備えなのに、すぐには動かせない。
それでも移したのは、動かしにくさそのものが線になったからだ。
触ってはいけないお金は、意志ではなく置き場所で守るしかなかった。
すぐ使う分と、待てる分は器が違う
金融庁は金融商品を安全性・収益性・流動性の三つで整理し、三つとも◎の商品はないとしている。
流動性とは、必要になったときにすぐ換金できるかの度合いのこと。
預貯金は安全性も流動性も◎だが収益性は△。債券は流動性が△。
どれかを諦める前提で選ぶしかない。
だから、すぐ使う分まで動かしにくい器へ押し込まない。
生活費の口座はその日のうちに整理できるが、国債は毎月の募集があり発行は後日になる。
日をまたぐ器と、今日できることは分けて考えたい。
分けたあとに残るもの
三つに割ってから、残高の見え方が変わった。
下げ相場でも投資分だけが揺れていて、暮らしの土台は揺れていない。
そう見えるだけで、手は止まらなくなる。
選択肢を持つというのは、たくさん持つことではなく、どれに手をつけないか先に決めておくことなのかもしれない。
経済的自由は、残高の大きさよりも、その内訳の静けさに近い場所にあるのではないだろうか。
まとめ
安心の正体は、金額ではなく境目だった。
分けるべきは金額ではなく役割で、役割は意志ではなく置き場所で守る。
今日ひとつだけ、いまの残高のうち「触らない分」に名前をつけて、生活費の口座から外してみてほしい。

