はじめに
引き出しの奥から、丸まったレシートが出てきた。
薬局のもの。日付は去年の冬。
風邪をひくたびに買った市販薬——合計するといくらだったのか、私は知らなかった。
記録していないものは、なかったことになる。
ただ、それだけの話だった。
医療費の控除には、二つの入口がある
ひとつは医療費控除。
一年間に払った医療費から、保険金などで補填された分を差し引き、10万円を超えた部分を所得から差し引ける。
基準の10万円は、総所得金額等が200万円未満ならその5%になる。控除できるのは最高200万円まで。
病院の診察代だけでなく、市販薬も治療のためのものなら含められる。ビタミン剤など、予防や健康維持のためのものは含められない。
生計を同じくする家族の分もまとめられるのが大きい。
もうひとつがセルフメディケーション税制。
対象のスイッチOTC医薬品等を年12,000円を超えて買った場合、その超えた分が控除される。上限は88,000円。
市販薬なら何でも数えられるわけではない。「セルフメディケーション税控除対象」と表示された指定の薬だけが対象になる。
条件はひとつ。特定健康診査、予防接種、定期健康診断、健康診査(人間ドックなど)、がん検診。この5つのどれかを、申告するその年のうちに、本人が受けていることだ。3年前の人間ドックでは使えない。
取組が要るのは本人だけ。医薬品のほうは、家族の分も合算できる。
この制度は、もともと2026年12月31日までの時限措置だった。
ただ、令和8年度の税制改正で続くことが決まっている。スイッチOTC医薬品の部分は期限そのものが撤廃され、それ以外の対象医薬品も延長される(2027年分から適用)。
二つは同時に使えない。そして、やり直せない
両方の要件を満たしていても、選べるのは片方だけ。
しかも一度申告で選んだら、あとから有利なほうへ変更することはできない。選択は年に一度、一回きりだ。
では、どちらを選ぶか。じつは複雑な計算はいらない。
市販薬以外の医療費——診察や処方薬など——が88,000円を超えていれば医療費控除、超えていなければセルフメディケーション税制。対象の市販薬が10万円以下なら、おおよそこの一行で決まる。
88,000円という半端な数字は、10万円と12,000円の差。
市販薬の額は、どちらの控除にも同じように効く。だから比べると市販薬の分は消えて、「市販薬以外がいくらか」だけが残るのだ。
(対象になる市販薬の範囲は制度ごとに少し違うので、あくまで目安として。)
10万円に届かなかった年こそ
医療費が10万円を大きく超えた年なら、迷いは少ない。
考えたいのは、8万円で終わった年ではないだろうか。
その年を「何もできない年」と決めつけていた。
でも、そのうち対象マークのついた市販薬が3万円あったなら、セルフメディケーション税制で18,000円が控除の対象になる。医療費控除のほうは選んでも控除額がゼロ。この年に意味を持つのは、こちらだけだ。
戻ってくるのは、控除額に税率を掛けた分。所得税と住民税を合わせて15%なら約2,700円、30%なら約5,400円。
金額としては小さい。
小さいけれど、選べたのに選ばなかったのと、選べなかったのとは違うのだ。
知識は、レシートの上でしか働かない
制度を知っていても、市販薬にいくら使ったか分からなければ、12,000円を超えているかどうかも、いくら控除できるかも計算できない。
いま、レシートや領収書を申告書に添付する必要はない。明細書に書いて、手元で5年保管する。
そして、健康保険から届く「医療費のお知らせ」に載るのは保険診療の分だけ。薬局で買った市販薬は、どこにも記録されない。自分で残すしかない。
・薬局のレシートには対象商品の印がついていることが多い
・健診の結果通知や予防接種の領収書も捨てない
・家族の分をまとめて一か所に置く
やることはこれだけ。
なお、まだ申告していない年に限っては、その年の翌年1月1日から5年間、さかのぼって還付申告ができる。過ぎた年をあきらめる前に、確認する余地は残っている。
経済的自由とは、選択肢を持っていること
私が資産形成で学んだのは、増やす技術より、選べる状態を保つことのほうが効くということだった。
若い頃は損失を出して市場から一度退場した。その後の暴落でも大きな含み損を抱えた。それでも積立を止めずにいられたのは、生活防衛資金という余白があったからだ。余白がある人は、慌てて動かなくていい。
税制の選択は、それと少し性質が違う。待ってくれるのは申告のときまでで、一度選んだらやり直せない。
一度きりだからこそ、選ぶ日までに材料を揃えておく。
得をするために使うのではなく、選べる側に立つために、記録を残しておく。
経済的自由という言葉を、私はずっと「働かなくていい状態」だと思っていた。でも実際は、こうして選択肢を持っている状態のことだったのかもしれない。
まとめ
今日ひとつだけ、財布のなかのレシートを見てほしい。
捨てるか、残すか。
その小さな分岐が、来年の選択肢を静かに決めている。

