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メンタルアカウンティング|「臨時収入」だけ雑に使ってしまう心理

経済的自由

はじめに

予定していた出費が、ふいになくなった日があった。 その分のお金は、何もしなくても手元に残る。 なのに気づけば、いつもは買わないものを買っていた。

値段は、いつもなら少し迷う額だった。 浮いたお金だから——。 そう思った瞬間、財布の紐が別人のものになっていた。

同じ一万円が、同じ一万円ではなくなる

給料から出す一万円は重い。 臨時収入の一万円は軽い。 金額は同じはずなのに、扱いがまるで違うのだ。

行動経済学者のリチャード・セイラーは、これを理論にまとめた。 メンタルアカウンティング——頭の中で、お金を別々の帳簿に分けて考えることをいう。

分けること自体は、悪いことではない。 生活費の帳簿から、ほしいものの帳簿へは回さない。 そう決めておけるから、使いすぎに歯止めがかかる。

効いているのは、帳簿の名前ではない。 そこに書かれた「回さない」という一行のほうだ。

臨時の帳簿には、その一行が書かれていない

臨時のお金にも、ラベルは貼られている。 「なかったはずのお金」というラベルだ。 もともと当てにしていなかった。 だから消えても痛くない。

けれど家計の残高は、出どころを覚えていない。 通帳の数字は、一種類しかないのだ。

同じ金額を給料日に使えるかと問われたら、たぶん迷っていた。 出どころで痛みが変わるのは、心のほうだけだ。

生活費の帳簿にはある一行が、この帳簿にはない。 「臨時だから」という言葉が、そのまま使う許可になっている。

私の帳簿には、縛りがついている

私の生活防衛資金は一年分で、全額を個人向け国債(変動10年)に置いている。 資産のうえでは、これを安全資産として扱っている。

この帳簿にも、一行だけ書いてある。 暮らしが止まりそうなとき以外は使わない、と。

ただ、その一行が守られているのは、意志が強いからではない。 発行から一年は、原則として引き出せない。 そのあと中途換金しても、直前二回分の利子(税引前)のおよそ八割が差し引かれる。

備えなのに、すぐには動かせない。 弱点でもある。 ただ、そのおかげで手をつけずにいられる。

守っているのは、私ではなく器のほうだった。

頭の外に、一行を置く

その一行を、臨時の帳簿にも書き足せばいいのだろうか。 けれど、それでは足りない。 「臨時だから」という一言のほうが、書いた一行より強いからだ。

だとしたら、臨時のお金にも器を用意すればいい。

入ってきたのなら、その額を。 予定していた出費が消えたのなら、同じ額を。 その日のうちに、生活費の口座から外してしまう。

移した先に求めるものは、二つだけでいい。 日々の残高から見えなくなること。 そして、戻すのに一手間かかること。

ただの別口座では、片方しか満たせない。 普通預金のあいだで移しただけなら、戻すのも一瞬だからだ。 定期預金に預け替えれば、そこに解約という一手間が挟まる。 その日のうちに用意できるのは、ここまでだ。 私の国債は、その一手間がもっと重いというだけの話だ。

金額の上に乗っているもの

経済的自由という言葉を、長いあいだ金額のことだと思っていた。 いくら貯まれば自由になれるのか、と。

金額はもちろん前提になる。 ただ、その上に乗るのは、いつ決めておくかだ。 先に決めて器に入れてしまえば、その場の気分に決めさせずに済む。

選択肢を持つというのは、決める時点を前へずらしておけることでもある。 出どころに気分を預けているうちは、決まるのはいつも使う直前になる。

まとめ

臨時のお金が雑になるのは、意志が弱いからではない。 その帳簿にだけ、器がないからだ。

次に思いがけずお金が入ったら——あるいは、予定していた出費がひとつ消えたら。 その額を、その日のうちに戻しにくい場所へ移してみてほしい。 金額は変わらない。 変わるのは、戻すまでの距離だ。

一手間の向こうに置いたお金は、勢いだけでは使えない。

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