はじめに
実家の居間で、通帳の話になった。 株は危ない——高校生の頃からそう言っていた親の、預金が中心の暮らし。 帰り道、頭のなかでざっと足してみた。
基礎控除には届いていなかった。 だが、足してみるまで分からなかったのだ。
「使い切れないかもしれない」という不安
長く生きるなら、お金は要る。 だから多めに備える。 備えた分の一部は、使われないまま残る。
残ること自体は、悪いことではない。 ただ——残る前提で考えたことが、どれだけあっただろうか。
不足の心配は何度もしてきた。 余る心配は、一度もしたことがなかった。
数えるまでは、霧のまま
国税庁の説明では、相続税は課税価格の合計額から基礎控除を引いた残りにかかる。 基礎控除は3,000万円に、600万円×法定相続人の数を足した額。 家族の人数で、線の位置が動くのだ。
知らなかったのは制度のほうではない。 自分の家の数字が、その線のどちら側にあるかだった。 計算そのものは、一行で終わったのに。
渡したつもりが、戻ってくることがある
生きているうちに渡す、という考え方もある。 暦年課税の贈与税は、その年に受け取った財産の合計から110万円を引いた残りに税率をかける。 だから毎年少しずつ、という話をよく聞く。
ただ、この先に続きがある。 相続が起きると、一定期間の贈与は相続財産に足し戻される。 足し戻す期間は相続開始日で変わり、令和8年12月31日までなら相続開始前3年以内、令和13年1月1日以降なら7年以内。 しかも110万円以下だった贈与も、亡くなった年の贈与も加算される。
「渡した」と「終わった」は、同じではないのだ。 時間のかかる仕組みは、時間がなくなってからでは使えない。
経済的自由は、使い切ることではなかった
使い切れない資産をどうするか。 そう考えていたとき、問いの立て方が少しずれていた気がする。
問題は、余るかどうかではない。 余ったときに、行き先を自分で決められる状態にあるかどうかだった。
決めずに残せば、制度が自動的に決める。 決めておけば、渡すか、使うか、残すかを選べる。 経済的自由が選択肢を持つことだとするなら、その選択肢は終盤にもある。 むしろ終盤のほうが、選べる時間は短い。
まとめ
使い切れないかもしれない——その不安の正体は、金額ではなかった。 行き先を決めていないこと。 それだけだった。
今日ひとつだけ。 3,000万円に、600万円×法定相続人の数を足す。 自分の家の線がどこにあるのか、一行で数えてみてほしい。 超えていても、超えていなくても、霧は少し晴れる。

