はじめに
口座の残高を見て、手が止まった。
増えている。 なのに、うれしさより先に別の感情が来た。
——これ、いつまで続けるんだろう。
「もう十分かもしれない」。 その感覚は、ある日ふいにやってくる。
「十分」は金額では決まらなかった
十分かどうかを、私たちはつい残高で測ろうとする。 だが、いくらあれば足りるかは、暮らし方でも年齢でも変わる。
決め手になるのは金額そのものではなく、いつ、何が入ってくるかという順番のほうかもしれない。
年金は「いつから」で額が変わる
老齢年金は原則65歳から受け取れる。 60歳から65歳になるまでの間に繰り上げることもできるが、その場合は0.4%に繰上げ月数を掛けた率だけ減額され、最大で24%減る。 そして、この減額率は一生変わらない。
逆に66歳以後75歳までの間で繰り下げれば、0.7%に月数を掛けた率だけ増え、最大84%まで増える。 こちらも増額率は一生変わらない。
終盤の土台がこれだけ動くのだ。 手元の残高だけを見て十分かを判断するのは、途中式を飛ばして答えを出すようなものではないだろうか。
順番を書き出してみる
私は暴落のたびに、数字ではなく順番に救われてきた。 生活防衛資金は1年分、全額を個人向け国債(変動10年)に置いている。 額面は守られるが、物価に勝てるとは限らない——それも承知のうえだ。
その上に全世界株式のインデックスを積み立てている。 株式と安全資産の二層。 この並びがあるから、下げた日も何もしないでいられる。
十分かを考えるときも同じだった。
- 何歳から年金が入るか
- それまでの間を何で埋めるか
- 崩す順番はどうするか
書き出すと、足りないのは金額ではなく段取りだったと分かることがある。
増やすことが目的になっていないか
増やしている間は、迷わなくて済む。 もっと、と唱えていれば、今日の判断を先送りできるからだ。
だが資産は、暮らしを選び直すための手段だったはずだ。 経済的自由とは、働かなくていい状態のことではなく、選択肢を手元に置いておける状態のことではないだろうか。
「もう十分かもしれない」は、不安の声ではない。 問いが、増やし方から使い方へ切り替わった合図なのだ。
まとめ
十分かどうかは、金額ではなく順番で決まるのかもしれない。
残高を見て手が止まった日は、桁を数える代わりに、入ってくるものと出ていくものを時系列で並べてみてほしい。
今日ひとつだけ——年金を何歳から受け取るつもりか、紙の端に書いてみる。 そこから、十分の輪郭が少しずつ見えてくる。

