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家族の口座を預かって運用すると、自分のときより慎重になる

経済的自由

はじめに

証券口座を開いて損益を確認する。 いつもの習慣だ。

ただ最近は自分の口座より先に、もう一つの口座を見るようになった。 家族から預かった口座だ。

含み益が出ていればほっとする。 含み損が出ていると胸がざわつく。

自分の口座で同じ含み損を見たときとは明らかに違う感覚がある。 同じ金額なのに重さが違うのだ。

自分のお金と「誰かのお金」の境界線

自分の口座であれば多少の下落は許容できる。 「長期で見れば戻る」と言い聞かせられる。 過去の失敗から学んだ胆力もある。

ところが家族の口座では同じ理屈が通用しない。 頭では分かっていても感情が追いつかないのだ。

この違いはどこから来るのか。 考えてみると答えは単純だった。

「自分で引き受けられるリスク」と「誰かに背負わせるリスク」は別物——ただそれだけのことだった。

慎重になる理由は「信頼」の重さ

家族がお金を預けてくれたのは投資の知識を信頼してくれたからだ。 その信頼には「減らさないでほしい」という期待が含まれている。

もちろん投資に元本保証はない。 それは事前に伝えてある。

それでも「預けてくれた」という事実が判断を変える。

具体的に変わったことがいくつかある。

・積立の方針を口頭でなく書き出して共有した

・相場が動いた日に何をするかを先に決めた

・リバランスの時期をあらかじめ固定した

・自分の勘で配分をいじらないと決めた

自分の口座では感覚で済ませていた部分にルールを入れた。 預かる責任がそうさせたのだ。

リスク許容度は「人ごと」に違う

投資の教科書には「自分のリスク許容度を把握しましょう」と書いてある。 しかし家族の口座を預かると気づくことがある。

リスク許容度は本人の性格だけでは決まらない。 収入の構造も違う。 お金に対する感情のかたちも違う。

私は過去にJ-REITへの集中投資で大きな含み損を抱えた経験がある。 その痛みを知っているから、今は全世界株式インデックスを軸に分散している。

預かった口座も中身は同じだ。 違うのは、私にはこれを選んだ痛みの記憶があり、家族にはないということ。

だから配分ではなく、説明のしかたを変えた。 なぜこれを選んだのか。下がった日に何をしないのか。 納得の理由まで預かるのが、代わりに運用するということだった。

「説明できる運用」が教えてくれたこと

不思議なことがある。 家族の口座を慎重に扱ううちに自分の投資スタイルも変わった。

以前は「もう少しリスクを取れるのではないか」と攻めの姿勢に傾くことがあった。 しかし人に説明できる判断だけを選んでいると自分の口座でも余計な売買が減った。

暴落が来ても動かない。 積立を止めない。 この姿勢が二つの口座を通じてより強固になった。

誰かのお金を預かることは制約ではなかった。 むしろ投資の原則に立ち返る機会だったのだ。

まとめ

家族の口座を預かったことで私は投資における「慎重さ」の意味を再発見した。

慎重さとは臆病になることではない。 判断にルールを持ち感情で動かないこと。 それは経済的自由に向かう道の中で最も地味で最も大切な技術ではないだろうか。

選択肢を持つということは自分だけでなく大切な人の選択肢も守れるということかもしれない。

今日ひとつだけ考えてみてほしい。 もし家族のお金を預かったら——自分と同じ判断ができるだろうか。

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