はじめに
二月の節分に豆を買った。 恵方巻も奮発した。 合わせて二千円ほど。
家計簿を開いて「食費」に入れるか迷った。 いや、これは食費なのだろうか。
節分がなくても腹は満たせる。 栄養も足りる。 それでも毎年、豆と巻き寿司を買ってしまう。
あの出費は何だったのか。 ずっと分類できなかった。
行事のお金を削った年のこと
家計を見直していた時期がある。 収入の一定額を投資に回すと決めてから、支出を徹底的に洗い出した。
固定費を削り、変動費も圧縮した。 そのとき「季節の行事」にかかるお金も対象になった。
・お正月のお飾りやおせちの材料
・ひな祭りのちらし寿司
・夏のそうめんや花火
・クリスマスのケーキとちょっとした贈りもの
一つひとつは小さい。 しかし年間で見ると数万円になる。
「なくても困らない」——そう判断して削った。
結果、何が起きたか。 季節がなくなった。
カレンダーの数字は進むのに、暮らしが平坦になった。 三月も七月も十二月も、同じ食卓に見えた。
心に必要な支出がある
家計には二つの支出があるのだと思う。
一つは「生活を維持する支出」。 食費、光熱費、通信費。 これは生きるために必要なお金。
もう一つは「心を維持する支出」。 季節の行事に使うお金は、こちらだった。
豆まきをすることで冬の終わりを感じる。 七夕の短冊を書くことで夏の真ん中を意識する。 年越しそばをすすることで一年の区切りがつく。
それは贅沢ではなく、暮らしにリズムをつくる行為だった。
家計簿の分類には「心の予算」という項目がない。 だから削りやすい。 数字の上では正解に見える。
でも、暮らしの手触りは数字に出ない。
節約と豊かさの境界線
節約には目的がある。 将来への備え、投資の原資、不安の解消。 どれも大切なのだ。
ただ、すべてを削ると暮らしが痩せる。
私は行事のお金を戻した。 月に換算すれば数千円。 年間でも数万円。
その金額で季節が戻ってきた。 二月には豆の匂いがして、十二月にはケーキの箱がテーブルに載る。
節約と豊かさの境界線は、金額ではなかった。 「削ったあとに何を失うか」で決まるのだ。
数字だけを見ていると、この境界線が見えなくなる。
行事は「未来の自分」への投資でもある
季節の行事を続けると、記憶が積み重なる。
去年の花見で何を食べたか。 三年前のお正月に誰と過ごしたか。
そういう記憶は、資産残高には載らない。 しかし、人生の実感を支えている。
経済的自由を目指すとき、数字を追いかけるのは当然のことだ。 けれど自由になったあと、何が自分の人生を満たすのかも同時に育てておく必要がある。
行事に使うお金は、未来の自分の記憶をつくっている。 それは選択肢を持つことと同じくらい大切なのではないだろうか。
まとめ
家計簿を開いたとき、季節の行事にかけたお金を見てほしい。
それが「無駄」に見えるなら、少し立ち止まるタイミングかもしれない。 それが「必要だった」と思えるなら、あなたの暮らしにはちゃんとリズムがある。
今日ひとつだけ、次の季節の行事に何をしたいか考えてみてほしい。 金額ではなく「何を感じたいか」を——。
心の予算は、自分にしか決められない。

