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退職金を前提にしない人生設計、という選び方

経済的自由

はじめに

給与明細を眺めていて気づいたことがある。 退職金の欄が、どこにもなかった。

正確に言えば制度自体がないわけではない。 ただ金額を調べてみると、老後の柱にはとても足りない。 そのとき感じたのは焦りではなかった。 「最初からなかったことにして設計し直そう」——そんな静かな決意だった。

退職金があるという幻想

多くの人が退職金を「もらえるもの」として計画に組み込んでいる。 住宅ローンの繰り上げ返済に充てよう。 老後資金の不足分を補おう。 しかしその前提は本当に確かなものだろうか。

厚生労働省の調査によると退職金制度のある企業は約75%。 つまり4社に1社は制度すら存在しない。 さらに制度があっても金額は年々減少傾向にある。

・大卒の退職金平均額はこの20年で約700万円減少している

・中小企業では1000万円を下回るケースも珍しくない

・確定拠出年金に移行し会社側のリスクを減らす動きも加速

退職金は「確実な収入」ではない。 変動するものを土台にすれば建物は揺れる。

前提を外すと見えてくるもの

退職金をゼロとして計算し直したとき、不思議なことが起きた。 必要な数字が明確になったのだ。

毎月の生活費はいくらか。 何歳まで働くつもりか。 年金だけで足りない金額は月にいくらか。

前提を外すことは悲観ではなかった。 むしろ曖昧だった未来の輪郭がくっきりした。

私は収入の一定額を毎月積み立てに回している。 退職金を当てにしないと決めてから、この積立の意味が変わった。 「余裕があるからやる」ではなく「これが自分の退職金になる」という感覚。

自分で積み上げたものは誰にも減らされない。 会社の業績にも制度変更にも左右されない。 それは思った以上に心を軽くした。

設計の軸を「会社」から「自分」に移す

退職金を前提にしないということは会社への依存度を下げることでもある。 これは会社を否定する話ではない。 会社に人生の設計図を預けない、という話だ。

具体的にやったことはシンプルだった。

・生活防衛資金を1年分確保する

・毎月の積立額を「将来の自分への給与」と位置づける

・支出の最適化を習慣にする

・公的年金のねんきん定期便を毎年確認する

どれも特別なことではない。 しかし「退職金ゼロ」という前提を置いた瞬間、すべての行動に理由が生まれた。

不安の正体は「見えないこと」だった

退職金がないと聞いて不安になるのは金額の問題ではないのかもしれない。 「将来いくら手に入るかわからない」という不透明さが怖いのだ。

自分で積み立てた資産は残高が見える。 増えていく過程も減るリスクも自分で把握できる。 見えるものは怖くない。

ここに気づいたとき経済的自由の意味が少し変わった。 大きな資産を持つことだけが自由ではない。 自分の将来を自分で把握できること。 選択肢を持つこと。 それが本当の安心なのではないだろうか。

まとめ

退職金を前提にしない人生設計は、悲観から始まるものではない。 自分の足で立つための設計図を引き直す行為だ。

会社が用意してくれるかもしれないお金を待つより、自分で積み上げる1円のほうが確かだった。

今日ひとつだけやってみてほしい。 退職金をゼロにして、もう一度将来の数字を計算し直すこと。 見える景色が変わるかもしれない。

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