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数字を追わなくなってから、季節の移ろいに気づくようになった

経済的自由

はじめに

毎朝、目が覚めると証券口座を開いていた。 前日比がプラスなら安心する。 マイナスなら胸がざわつく。

その繰り返しが日課だった。

ある朝、スマホを手に取る前にベランダへ出た。 風の匂いが変わっていた。 金木犀だった。

いつから咲いていたのだろう。 まったく気づかなかった自分に驚いた。

数字が支配していた日常

資産形成に本気で取り組んでいた時期がある。 収入の一定額を毎月淡々と積み立てていた。 全世界株式のインデックスを軸に据えて。

仕組み自体は悪くなかった。 問題は、数字との距離だった。

・朝起きたら含み損益を確認する

・昼休みに為替レートをチェックする

・夜は資産推移のグラフを眺める

やっていることは合理的に見える。 でも心は常に数字に縛られていた。

天気の良い日も曇りの日も関係なかった。 相場が上がれば晴れ。下がれば雨。 私の天気は、市場が決めていたのだ。

数字を見なくなったきっかけ

きっかけは大げさなものではなかった。 ただ、疲れたのだと思う。

かつてJ-REITに集中投資していた頃、大きな含み損を抱えた経験がある。 あのとき学んだはずだった。 「仕組みを信じて、あとは放っておく」と。

それなのに、いつの間にかまた数字を追っていた。 分散投資に切り替えたあとも、習慣だけが残っていた。

ある日、試しに一週間だけ口座を開かないと決めた。 最初の二日は落ち着かなかった。 三日目から、少し楽になった。

一週間後、口座を開いてみた。 特に何も変わっていなかった。 当たり前のことだった。

見えるようになったもの

数字を追わなくなってから、変化が起きた。 それは資産の話ではない。

朝の光の角度が変わっていることに気づいた。 スーパーに並ぶ野菜が入れ替わっていた。 夕暮れの時間が少しずつ早くなっていた。

季節の移ろい。 ずっとそこにあったのに、見えていなかった。

数字を見ていた時間に、空を見るようになった。 それだけのことだった。 でも、その「それだけ」が思いのほか大きかった。

暮らしの中に静けさが戻ってきた。 焦りが薄れた。 何かを追いかけている感覚が消えた。

豊かさの正体

振り返ると、私が本当に求めていたのは資産額ではなかったのかもしれない。

経済的自由という言葉に惹かれたのは、お金を増やしたかったからではない。 選択肢を持つことで、自分の時間を取り戻したかったのだ。

なのに数字を追い続けていたら、時間はまた数字に奪われる。 矛盾していた。

積み立ての仕組みは今も動いている。 暴落が来ても売らない。 ルールどおりに淡々と続ける。

それだけ決めたら、あとは暮らしに集中できる。 投資の成果は未来の自分に預ければいい。

まとめ

豊かさは、口座の数字の中にはなかった。 風の匂いや光の色の中にあった。

今日、少しだけスマホを置いて外を見てほしい。 季節が何か、ひとつ教えてくれるかもしれない。

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