はじめに
以前の私は、「忙しいこと」は価値だと思っていました。
予定が埋まり、依頼が重なり、夜遅くまで働いている自分に、どこか誇らしさを感じていたのです。
でも今は違います。
当時よりも明らかに余白は増えました。それでも、不思議なことに、満たされている感覚は今の方が強いのです。
なぜ、忙しさが減ったのに、心は豊かになったのでしょうか。
忙しさがくれる“錯覚”
忙しい毎日は、達成感をくれます。
・誰かに必要とされている感覚
・自分は前に進んでいるという実感
・評価されているという安心
けれどそれは、外側から与えられる充実でした。
自分の内側から湧き出るものではありません。
忙しさが減ったとき、最初にやってきたのは不安でした。
「自分は価値を失ったのではないか」という感覚です。
でも、それは単に“音”が静かになっただけでした。
構造を変えると、感覚が変わる
忙しかった頃の時間の使い方は、ほとんどが「反応」でした。
メールに返す、依頼に応える、期待に応じる。
今は少し違います。
自分で選び、自分で決め、自分のペースで進める時間が増えました。
・やらないことを決める
・人の期待から一歩離れる
・余白を予定に入れる
この小さな構造の変化が、感情を大きく変えました。
忙しさは量の問題でした。
満たされる感覚は質の問題だったのです。
失ったのは忙しさ、得たのは選択
時間に追われていた頃は、自由を求めていました。
けれど実際に減らしてみて気づいたのは、自由は「時間の量」ではなく「選択肢を持つ」ことだということです。
自分で選べる。
今日は頑張る日か、休む日か。
受けるか、断るか。
その状態が少しずつ整っていくと、心は落ち着きます。
これが、私にとっての小さな経済的自由でした。
まとめ
忙しさを誇っていた頃、私は安心を求めていました。
今は、静かな納得を求めています。
満たされていると感じる理由は、
他人に証明する生き方から、自分で選ぶ生き方に移ったから。
もし最近、理由のない疲れを感じているなら、
「増やす」よりも「減らす」ことを試してみてください。
やらないと決めた瞬間、
あなたの時間は少しだけ、あなたのものに戻ります。
知らなかったけれど、求めていたのはこれだった。
そう思える感覚は、忙しさの外側にあります。

