はじめに
以前は、いつも誰かを意識していました。
同じ年代の同僚。
先に昇進した友人。
SNSで成果を発信する人。
気づけば、何をするにも「その人より上か、下か」で考えていました。
けれどある日、その相手の顔が思い浮かばないことに気づきました。
忘れようとしたわけではありません。
ただ、自然と考えなくなっていたのです。
その変化は、とても静かなものでした。
比較が生まれる構造
人は不安を感じると、基準を探します。
そして一番手っ取り早い基準が「他人」です。
・収入はいくらか
・資産はいくらか
・どんな肩書きか
数字や肩書きは分かりやすい。
だからこそ、自分の現在地を測る道具になります。
しかし、その基準は常に動き続けます。
誰かが前に進めば、また焦りが生まれる。
比較は終わりがありません。
その状態では、努力しても満足感が薄いのです。
比較をやめたわけではない
私は「もう比べない」と決意したわけではありません。
ただ、日々の行動を少し変えました。
・毎月の資産推移を、自分の過去とだけ比べる
・SNSを見る時間を減らす
・目標を「誰かより上」ではなく「昨日より前」に置く
すると、不思議なことが起きました。
ある日、以前よく意識していた相手のことを思い出さなくなったのです。
意識の中心が、他人から自分へ戻っていました。
視界が広がる瞬間
比較が消えると、心に少し余白が生まれます。
その余白は、何もしない時間ではありません。
本当に望んでいるものを考える時間です。
そこで初めて、自分が求めていたのは
勝つことではなく、安心だったのだと分かりました。
それは「経済的自由」という言葉に近い感覚でした。
誰かに勝つためではなく、自分で選べる状態。
つまり「選択肢を持つ」ことです。
比べ続けている限り、自由は遠いままです。
けれど比較が薄れたとき、自由は静かに近づいてきます。
まとめ
以前は、常に誰かの存在を意識していました。
今は、その人の名前を思い出すことさえ少なくなりました。
それは成長というより、方向転換だったのだと思います。
もし最近、特定の誰かを思い浮かべなくなっているなら、
それは停滞ではありません。
あなたの基準が、自分の内側に戻りつつある証拠です。
今日一つだけ、
「誰かと比べない選択」をしてみてください。
知らなかったけれど、
自分が本当に求めていたのは、この静けさだったのかもしれません。

